雑談の折々に
自主自立の心掛けが大事やな
300人のときがよかったな、と
松下幸之助さんは
呟(つぶや)くように
何度も話す。

● 松下幸之助さんが、「自主自立の心掛けは、経営においても、人生においても、大事なことやなあ」と、雑談のとき、何気なく(というように、私は、思った)、言う。私は、「そうですね」と、なんのためらいもなく、なにを考えるでもなく、応える。

● また、雑談で、「人を頼るとか、国を頼るとか、そういう考え方は、あかんな」と言う。月に2回か3回は、呟(つぶや)くように、雑談のなかで、私に語りかける。「わしは、長く(松下電器の)経営をやってきたけどな、人に頼ったり、政府にお願いするということは、たいてい、なかったなあ」と独り言のように、話す。

● たびたび聞いているうちに、いくら雑談でも、何気なく独り言のようでも、なぜ、この人は、繰り返し、繰り返し、私に言うのだろうかと、ふと、思った。

● 当時、PHP研究所の経営は、松下電器に、人件費も出してもらう、書籍、月刊誌の新聞広告費も全額負担してもらうなど、おんぶに抱っこであった。にもかかわらず、売り上げは伸びず、赤字、借金、当然、内部留保はゼロだった。

● 雑談で言う松下幸之助さんの言葉を考え、考えて、気がついたのは、松下電器に依存せず、自主自立の経営をやれ、人を頼りにし、他を頼りにする経営は、やめよ、ということではないか。

● そう考えて、私は、松下電器からの支援を、いっさい、断(た)つ決意をした。私が経営を担当してから、売り上げも、利益も着実にあがるような状況になっていたとはいうものの、まだまだ十分とは言えず、そのようなときに、松下電器への依存を、すべて断(た)つことは、不安でもあった。

● しかし、断(ことわ)った。その報告を、松下幸之助さんにすると、「そうか、よく決めてくれた」と満面の笑み。大いに喜んでくれた。そして「これで、キミんとこも、きっと発展するわ」と励ましてくれた。

● その言葉通り、社員の表情も一変、今までにも増して、緊張感を持って、それぞれがそれぞれの役割を貫徹。その間のリーマンショックなども関係なく、実に34年間にわたって、売り上げが一度も前年度を下回ることはなく、利益も相当に確保、内部留保も、2年間、経営を停止しても維持出来るほどに積み上げることが出来た。

● つくづく、松下幸之助さんの、経営の考え方の正しさ、的確さに恐れ入ったことを、鮮明に覚えている。

● しかし、売り上げを、27倍にしたが、社員数は、300人前後に抑え続けた。どうして300人に抑えたか。

● このことも、雑談の折ふしに、松下さんが、繰り返し、「会社が300人の頃が、いっとう、楽しかったな。皆(社員)の顔も名前も覚えられ、一人ひとりと話も出来た」と言う。

● 何度も、その話を聞いていると、なるほど、そうか、と、私は、強く思うとともに、これは、ひょっとして、PHP研究所の社員数を300人以上にしたらあかん、と言っているのではないか、と考えるようになった。そういうことで、私は、社員数を300人前後に抑え続けることにした。

● そして、社員の理解と提案(知恵)と協力で、労働強化にならないように、合理化(=ムダの排除)と迅速化(機械化、デジタル化)に取り組み、売り上げが伸びても、社員数を300人前後に抑えることに成功した。

● もちろん、すべての業種の会社が、従業員数を、300人前後に抑えることは不可能で、それぞれに「適切適数」があるであろうから、それぞれに考えるべきと思うが、私は、松下さんが言う、「300人の頃が、いっとう、楽しかった」という言葉を、私に言っているのだと思い、実践した。お陰で、利益は、34年間のほとんど毎年、平均8%を確保し続けた。

● 思うに、松下幸之助さんが、雑談で、繰り返し、繰り返し、同じ話をしてくれたというのは、実は、経営に関する考え方、取り組み方を、「何気なく」ではなく、鈍感な私の頭に入るよう、心に沈潜するよう、骨に沁みるように、根気よく話をしてくれていたのだろう。そう思うと、身の震えるほど、ありがたいことだったと、今でも思っている。

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