夜を恐れるな
朝は来る
必ず
来る

● 石田 退三(1888〜1979)という人をご存知だろうか。トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)の社長、会長、相談役を務め、戦後のトヨタ自動車を立て直し、「トヨタ中興の祖」と呼ばれている人である。

● 石田退三さんは、無駄を嫌い、無駄なお金を一切使わなかった。「自分の城は自分で守れ」という有名な言葉通り、とにかく、内部留保を増やし、借金することなく、自前で必要な設備を賄う経営をした。

● 松下幸之助さんは、6歳年上の石田退三さんを敬慕し、尊敬し、しばしば会いに行っている。2人は、幼くして奉公に出て厳しい丁稚生活を経験していること、経営観が同じという共通点があったことのためか、話というか、気があったようだ。

● その石田さんが会長の頃、松下電器は、トヨタにカーラジオを納入していた。ところが、トヨタから、カーラジオの納入価格を20%下げてほしいと要望がきた。1961年、昭和36年であった。

● さあ、どうするか。事業場の幹部たちは困った。というのは、もともと、3%の利益しかないからだ。3%の利益のところに、トヨタからの要望は、直ちに5%、さらに半年後までに15%、合計20%の納入価格引き下げである。

● 幹部、技術者たちは、連日のように、会議をし、検討を続ける。ある会議のとき、たまたま松下幸之助さんがその会議室を覗くと、幹部は、「そういうことで会議をしています」という。

● 当時、貿易自由化に直面して、トヨタでは、輸入車(外国車)に対抗すべく、徹底的な合理化を図っていた。その事情を承知していた松下さんは、次のように指示を出す。

●「トヨタさんは日本の自動車産業を維持、発展させていくために、日夜心をくだいて努力しておられる。何としてもこの要求に応じなければならない。性能は絶対に落とさず、先方の求めに従い、値下げしてなお適正利益があがるように、設計や工程を根本的に見直してはどうか」(『松下幸之助小辞典』64P)

●「それで、わしは、ところで、君たちは、製品をテーブルの上に並べ見ながら、ああでもない、こうでもない、と議論しとるが、そういうことでは、トヨタさんの要望に応えられる製品はでけへん。テーブルの上の製品をすべて片付けや。そして、今までの製品を前提にして考えるのではなく、一から考える、白紙から考えるということにせいや、と言ったんや」と松下さんが言う。

● 結果、一年ほどで、技術者たちは、「白紙からの発想」で、トヨタの要望通り、20パーセントの値下げを実現するだけでなく、なんと10パーセントの利益まで確保することに成功した。

● 松下幸之助さんは、「石田さんは、偉い人やったなあ」と話すたびに、このカーラジオの一件を話してくれた。そして、「何事も、出来ん、と考えたらあかんな。どうすれば出来るかを考えんと。まあ、行き詰っても行き詰まっておらんと、そういう心持ちで考えんとな(『松翁論語』事にあたって 1)。そういうふうに考えることが大事や。困ったとき、行き詰ったとき、今までのものを改善改良して、と考えてたらあかんわ。出来へん。ゼロから発想することが大事や、早い話がね」

● いま、多くの零細、中小企業、大企業が、中国武漢ウイルス感染症の世界蔓延、パンデミックで、如何ともしがたい、手の打ちようもないほどの苦境に立たされている。小売業のいくつかは廃業せざるを得ず、また、中小企業のいくつかも倒産し始めている。

● まさに想定外の事態に万事休している。考えても、打開策が見つからない。悩み苦しんでも、どうにもならない。もう、おしまいだ、とヘタリ込んでしまうのも仕方ないだろう。

● しかし、ここは呆然と、あるいは、狼狽(うろた)えるのではなく、しっかりと前方を見つめ、打つべき手を尽くしたうえで、今の事業を、仕事を、「白紙」に戻して、今一度、今の事業を続けるか、新しい事業を考え抱き合わせるか、新しい事業に転換するか、あるいは、廃業するか、冷静に、「ゼロからの発想」で、考えてみてはどうか。「道はいくつもある」(『道をひらく』見方を変える 166頁)

● 台風のさなかに、ジタバタして、表に飛び出し、家の屋根や雨戸の補修をしては、ケガをするだけでなく、命も落としかねない。考えられる対策をしたら、むしろ、開き直って、嵐が去ったあと、どうするか、家を立て直すか、部分補修をするか、移築するか、移転するかを考えたほうが賢明というものかもしれないと思う。

● 苦しいのは、あなただけではない。大抵の人たちが同じ苦しみのなかで、頑張っている。そのことは忘れないでほしい。
朝のこない夜はない
永遠の夜はなく
永遠の昼はないように
苦労の後には
必ず喜びの日も来るだろう。
吉川英治

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