カルロス・ゴーン氏は
会社再建請負人であり
お雇い外国人であって
経営者でも
指導者でもない。
経営者、指導者には
人望、人間力、人徳が
無ければ
真の経営者、指導者としての
資格はない。

● 「兵は詭道(きどう)なり」。すなわち、戦いは、いかに、敵をダマし、敵を混乱させ、敵を裏切り、敵を油断させ、敵を撹乱(かくらん)などして、勝つことである。

● そのためには、敵を欺(あざむ)き、敵を謀略によって分断し、弱点を突き、利のあるところに従って行動し、常に意表をつくことを大事にしなければならない。

● 「故に兵は詐(さ)を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為す者なり。故に、その疾(はや)きことは風の如く、その徐(しずか)なることは林の如く、侵掠(しんりゃく)することは火の如く、知り難きことは陰の如く、動かざること山の如く、動くことは雷の震(ふる)うが如くにして、郷を掠(かす)むるには衆を分かち、地を廓(ひろ)むるには利を分かち、権を懸(か)けて而(しこう)して動く(=はかりごとを考えて動く)。・・此れ軍争(戦さ)の法(=基本)なり」。(※1 訳 コメント欄参照)

● 言わずと知れた『孫子』(孫武著、但し 諸説あり)の言葉である。とにかく、『孫子』は、詭道(きどう)を駆使して、戦さに勝つことだけを論じている。そこには、ほとんど、「人倫」、「人道」はない。「五事七計」(※2 コメント欄参照)のなかに「道」があるが、これとても、勝つ手段として取り挙げられている。

● 戦争を簡単に起こすことを戒め、長期戦による国力消耗を戒める内容の非好戦的な書だという人もいる。「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」(謀攻篇)などがあるではないかというが、しかし、詰まるところは、それも「勝つ」ためである。

● 戦さに明け暮れた我が国の戦国武将のなかには、武田信玄のように、この書、『孫子』を愛読した武将がいたと伝えられているが、全般的に見て、戦国期において、『孫子』は、それほど重視されてはいなかったようだ。

● 奇妙な話をするようだが、この『孫子』は、宮本武蔵の試合・決闘に対する考え方、戦い方と酷似している。とにかく、武蔵も、試合・決闘に勝つことしか考えなかった。生きるか死ぬかの、ギリギリのところだから、それはそれで仕方ないことかもしれない。

● 例えば、柳生流の松平出雲守の面前で、8尺余の八角棒の使い手と試合をするとき、相手が控え腰を落として、ただ待っているのを見ると、武蔵は、階段を降りないうちに、相手の顔を突く。無法な話だから、相手は激怒して、棒を構えようとしたところを、武蔵は二刀で相手の両腕を打ち、次に頭上から打ち下ろして倒している。(坂口安吾著『青春論』より)無茶苦茶である。

● 作法も礼儀もあったものではないが、武蔵の考えは、試合の場において用意をしていないほうがいけないのだ。いや、試合することが決まった、そのときから、試合は始まっているのだ。なんでも構わぬ。敵に勝つのが剣術。心理でも油断でも、詭道と言われようと、どんなことをしても勝つことが大事だ、というのが、武蔵の剣法だった。

● 武蔵は29歳までに「60余度の勝負すといへども、一度も其利を失わず」(『五輪書』)、すなわち、一度も負けることはなかったとあるが、その60余度の勝負は、ことごとく戦い方が違う。そのときそのときに臨機応変に対応している。

● その戦い方は稿を改めるとして、30歳を過ぎると、武蔵は、「勝つ」ことの究極は、「己の成長」にあるとして、その後、一切、試合・決闘をやめ、ひたすら、自己修行に努め、また、書画に没頭していく。ご承知のの通り、『鵜図』『枯木鳴鵙図』などは、国の重要文化財になっている。

● もちろん、『孫子』と宮本武蔵を比較することは無意味であることは承知している。孫子は、戦さに勝つことだけを論じた「兵法書」。ただ、前述したように、29歳までの試合に勝つことだけを考えていた武蔵の「考え方」、「戦い方」が、酷似しているということである。

● しかし、武蔵は、29歳過ぎてからは、人間的成長を目指す生き方に変えている。(但し、試合・決闘をやめた理由は諸説有り。)武蔵は、60余度の勝負を経て、人間には、それ以上のものがあることを悟ったのではないかと思う。つまるところ、人間力、人望力、人徳を身につけなければ、「勝つ」だけでは、結局、虚(むな)しさしか得られないからだ。

● そして、カルロス・ゴーン氏。最近、経営コンサルタントのなかには、日産再建に成功したカルロス・ゴーン氏をもって、「だから、経営者に人望は必要ない」と言う者がいる。

● しかし、私は、ゴーン氏を「経営者」と思ったことはない。彼は、単なる「会社再建請負人」であり、「お雇い外国人」であって、「経営者」でも「指導者」でもない。いわば、「勝つこと」だけ、「会社再建」だけが目的。だから、彼に求められるのは、非情さ、冷酷さだけである。ゆえに、人望も人徳も人道も人倫も人間力も必要がない。

● その区別が出来ずに、「経営者に、人望は要らない」などと、誇らしげに浅薄な論を開陳する経営コンサルタントに経営指導をさせたら、その会社は、たちまちのうちに倒産、衰退し、奈落の底に落ちるだろう。

● 「経営の成功は容易と言えば容易ですね。しかし、経営者としてですな。その成功は、難しいですな。まあ、人間としてということになりますわな。だから、そう簡単にはいきまへんわね」と記者の問いに答えていた松下幸之助の姿を、いま、思い出している。

● 我々もまた、人生において、「個々の成功」、言い換えれば、カネや地位や名声等において成功する以上のもの、すなわち、人望、人徳を身につけてこそ、「人間としての成功」だということは、知っておいたほうがいいのかもしれない。

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